それは何といっても「集団により人間教育」が得意だということです。個性を尊重するとは難しいことです。でも成蹊小学校の先生方を拝見すると皆さん素晴らしいと思います。よく先生方とお話をさせて頂くのですが、「本当に成蹊の先生は勉強をするんだ。だから負けないようにと僕も頑張っているよ。」と話されている先生がいらっしゃいました。良い意味で競ったり影響し合う最高の環境なのだと思いました。(それはそのまま生徒たちの環境となります)また別の先生が「自分が輝いていないと、子供たちの良い影響を与えられない。沢山学んだことを楽しく話せばそれだけで子供たちに生きた学習の刺激を与えられる」と話されていた先生もいらっしゃいました。
また成蹊は子供をとても大切にします。給食はアレルギーにも対応して作ってくれるなど、子供の気持ちをとても大切にしてくれます。手塩にかけ、一人で御弁当を食べる寂しさを克服してくれるのでしょう。なかなか出来ないことです。
今、社会問題にされている「いじめの問題」に対しても現在は成蹊学園で「カウンセラー」を抱えて誰でも気軽に話せる環境までも整備しておりますが、昔からきちんと話し合って解決しておりました。たまたま、日記で「誰々が苛められているの、先生助けてあげて」と一年生の日記で娘が書いたとき、「その苛めている子どもと友達になってあげて」と返事が来て、娘は驚いていました。いじめは苛められる子供の問題より、苛めている側に問題を抱えていることが多いから、そう書いたのだと思います。娘は言われた通りにしておりました。でも3年生にもなると、教室で「どう思う?」と率直に意見を交わしたり、現実から逃げずに立ち向かうような指導をしています。低学年では喧嘩も時には引っ掻いたりしてまだまだ幼さが残りますが、3年生くらいになると、「君の言いたいことも判るけど、僕はこう思うんだ」と冷静に判断出来るようになります。1年生の時に何かというと泣いて譲らせていた女の子に、「何かといえば泣けば良いと思っているでしょう?赤ちゃんじゃないんだから、自分の気持ちをきちんと言わないと、何でも自分の思い通りにはならないよ」と言われて、大人になった子供たちは数多くいると思います。自分の意見を出しながら、人の話も聞く、そうやって切磋琢磨していける教育がここにはあります。偏差値尊重では見えない、人間としての基礎力,コミュニケーション能力の育成があります。
自分を大切にする、でも人も自分と同じように大切にしよという思いやりの心を育ててくれます。沢山の強い絆の友人が出来ます。 私の卒業生のお母さんも呆れていました。「まぁ主人もいくつになっても毎年、忘年会をしているの。羨ましいわ。いくつになっても利害関係が絡まない人間関係は楽なのよね。とても楽しそう。そういう友達は一生の宝よね」と話されていました。勉強は自分がしたくなったらいつでも出来ます。大人になっても出来ます。でも人間性はなかなか変えられません。小学校で苛められたり、友達がいなくて寂しい思いをしてしまったら?もしそこで人間不信になったりしたら、どんなに良い学校を卒業しても、会社や社会に出て、伸びていけるでしょうか?人と上手くやるということは生きていく上での一番大切なことではないでしょうか?会社でも、家族でもそうです。夫婦もそうです。うまくいかないのはコミュニケーションが上手に取れないからです。沢山の人とぶつかり、仲直りし、絆を深めていく重要性がここにあると思います。そんな暖かい教育、じっくり見守ってくれる教育がここにはあります。
「自分の子供だけを見て下さい。その為に学級の人数を減らしたのでしょう?」等とおっしゃるクレーマーの方には不向きです。いたって平等、女子がいても、むしろ男子校教育、しかし女子の方が強い学校です。先生はいちいち手出しをせず、じっと待ってくれます。だから子供たちが考えて自分たちの答えを出していけるのです。むやみに甘やかさない、子供を信じている学校です。生徒同士だけでなく、先生ともとても仲良しです。卒業の時、ほとんどの生徒が上に上がるのに、みんな目を真っ赤にして泣いていました。それだけ見ても、どれだけこの学校は素晴らしい学校だったのかと思わずにはいられませんでした。