『言語(語彙力)』と『数の概念』、私はこの二つこそ幼児期に獲得すべき基本的構成要素・重要な二本柱と考えております。『言語』は言わずとしれた人間同士のコミュニケーション手段であり、『数』は論理的思考の礎といえましょう。両者は正に、人間が生きる為に必要不可欠な知識を獲得する為の基本、自ら考え行動する為の根幹を成すものだと考えます。そう思うからこそ、私はこの2つを一層豊かにして行きたいのです。また、単に記憶されたものではなく、娘が自ら思考して獲得し、娘の血となり肉となった『真の力』になったものでなければ意味が無いでしょう。
獲得された『数』や『言語』は娘に新たな知識や経験の機会を与え、多経験の蓄積が身に宿った豊潤な土壌となります。娘が今後小学校・中学校・高校・大学と進学して行き、様々な新しい分野や世界の刺激を受けた時、好奇心に火が付き知識欲に突き動かされるエネルギーとなります。つまり、娘をより大きく成長させる原動力となるのです。
このような背景を持つが故に、偏った詰め込み教育や問題解法の(受験の)テクニックだけを教え込むのではなく、自分で考える力を育んで下さるひとみ先生の授業に、私は共感を覚えたのです。具体物を使用した数の学習に始まり、多種多様な出題内容、豊富な出題アイテムには、私の期待する『子供が自ら考え、気付き、獲得する』要素が大いに潜んでいると感じるのです。さらに、我が家にとって小学校受験は通過点であってゴールではありません。より良い教育環境を求めての受験ではあっても、合格する事にのみ汲々とし、子供の発達を鑑みない学習を施した挙げ句、入学した頃には伸びきったゴム状態にさせてしまった事例を散見すると、本末転倒も甚だしいと思います。受験勉強とは、晴れて入学した後に、求めた環境下でさらに飛躍する『力』を付けるものでなければならないと考えております。
一方、知識面の充実にのみ目を向ける訳にはいきません。飛躍するには、知的な力だけでは無く精神力も重要な要素です。ひとみ幼児教室の子供達はとてもタフでエネルギッシュです。問題を間違えても、出来なくて泣いてしまっても、諦めずに授業に付いて行く姿には感銘すら覚えます。先生の厳しいご指導(叱責)に対して、子供たちは時にこれを重く受け止め、時には聞き流しているようです。その中にあっても子供同士で競い合い、励まし合う姿は精神的強さの表れでしょう。多様な人と接するなかで、数々の自分の思う通りにならないことを経験しながら、強い心が醸成されることを期待しています。
次に、受験に対する私の認識と今後の取り組みについて思うところを述べたいと思います。小学校受験は「所詮は親のエゴ」と云われても仕方ないでしょう。どんなに学校見学をし、色々な学校の良い面を我が子に話して聞かせたところで、子供自身が真に希望して受験に臨むとは思えません。であるならば、親として子供に最良の環境を選んだと自信を持って言えるのか、子供の人生における大事な選択をするにあたり的確な判断を下したと言えるのか、感情に立たない冷静で客観的な目を養うことは親の必須条件です。もっと極端な事を言えば、ひとみ幼児教室での学習経験を通して、事によっては『我が子には、小学校受験は時期尚早である』という判断を下すに至るやもしれません。私は先に、我が子に生き抜く為の力を付けさせたいと書きましたが、子供の発達段階に応じ、無理の無い学習ペースを設定することは難しい事だと痛感しております。訓練すればしただけ子供は伸びるでしょう。しかしながら、学習面に於ける子供の伸びには発達段階に比例して限界=容量があり、容量を無視した過度の学習は、子供をオーバーヒートさせ、親が良かれと思ってしてきた事が結果として子供を潰してしまう事にも成りかねません。親には、子供の成長進度を適宜に把握し判断する能力も必要だと考えます。その意味で、ひとみ幼児教室は親の成長をも期待し得る場です。先生というプロの眼からのご指導もさながら、共に受験に臨む母親達という仲間の存在がとても大きい。母親同士悩みや愚痴を言い合えるだけでは無く、励まし合い、時には叱咤してくれるというのは、他の幼児教室では考え難い環境だと思います。ひとみ幼児教室は、親子共々とことんやらせてもらえる、親子共々にとっての『学舎』ではないか、とも考えております。